Takeshi Ikemoto

医療 × 経営 × テクノロジー

·夜便 1本目·

「EUVが中国にある」——証拠を示さない米国と、証拠なしで否定するASML

EUVASML半導体規制米中対立

AIチップを作る唯一の装置「EUV」が中国にあると米国が主張し、ASMLは否定しています。ただし証拠は非公開で、ASMLにも提示されていません。

一言で言うと

「EUVが中国に流出した」という米国の主張と「ない」というASMLの否定は、技術的な真実の争いである前に、EUV以外の旧型装置(DUV)の輸出全面禁止に向けた規制の政治的な駆け引きを映しています。

何が起きているのか

まず、今回の主役である「EUV」という装置について説明します。半導体チップは、シリコンの板の上に、髪の毛の数千分の1という細さの電子回路を光で焼き付けて作ります。写真の現像のように、光を当てて回路の模様を転写する仕組みです。このとき、当てる光の波長が短いほど、細かい回路を描けます。回路が細かいほど、同じ面積にたくさんの部品を詰め込めて、チップは速く・省電力になります。

EUV(Extreme Ultraviolet Lithography、極端紫外線露光装置)は、この光に「極端紫外線」という非常に波長の短い光を使う装置です。これによって、いまの技術で最も細かい回路を描けます。スマートフォンの頭脳にあたるプロセッサから、AIの計算を担うチップまで、性能の高いチップはすべてEUVで作られています。

そしてこのEUVを作れる会社は、世界でオランダのASML 1社だけです。光源・レンズ・制御をミリ以下の精度で組み合わせる必要があり、20年以上の開発を経てASMLだけが量産にこぎつけました。だからこそ、この装置がどこにあるかが、国家間の安全保障の問題になっています。

米国の商務長官ハワード・ルトニックは、ASMLの幹部との会合でこの装置に関して懸念を表明しました。Bloomberg報道によれば、米当局者は「EUV関連の部品と輸送機器が中国に出荷された証拠がある」と述べています。ただし具体的な証拠は非公開で、ASMLにも提示されていません。また商務省自身が「実機の中国所在を確認できていない可能性がある」とされています。

ASMLのCEOクリストフ・フーケは明確に否定しています。「出荷した全機器を追跡管理している」「EUV技術にアクセスできる従業員と中国担当スタッフは社内で分離している」「リバースエンジニアリング(完成品を分解して設計や仕組みを読み取る手法)は不可能。機器なしに複製はできない」と述べました。

AI業界の文脈では

「輸出規制があれば最先端技術は守られる」という前提は、今回の構図では成り立ちません。証拠を持つと言っている側が証拠を示さず、ないと言っている側には証拠が届いていない。これは「流出したかどうか」の技術的な事実確認ではなく、外交上の圧力の構造です。

もう一点、見落とされがちな区別があります。「EUV関連の部品や輸送機器が出荷された」ことと「EUV装置が中国で動いている」ことは別の話です。EUVは高さ約10メートル・重量170トン超の精密機器で、設置と稼働には製造元ASMLの継続的な保守・校正サービスが不可欠です。仮に部品の一部が流出していても、装置として機能させるには別の高い壁があります。

私の見立て

インセンティブという面から見ると、ASMLが意図的にEUVを中国に渡す動機は薄いです。ASMLの中国向け売上の大半は旧世代のDUV(深紫外線露光装置)によるもので、2026年の売上の約20%を占めています。EUV密輸が発覚すればこのDUV事業も失い、輸出ライセンス全体を剥奪される可能性があります。商業的な計算としては合わない話です。

一方、情報の流れという面で注目すべきことがあります。米国議会では現在、中国へのDUV輸出も全面禁止にする法案が審議されており、2026年4月に委員会を通過しています。「EUV流出疑惑」という情報は、この法案を後押しする政治的な文脈に置かれています。証拠が公開されていない状況で疑惑だけが広まると、「DUVも危険だ、禁止すべきだ」という主張に利用されやすくなります。

ASMLが「ない」と断定できるのも、完全な証明ではありません。「出荷記録に基づけばない」という意味であり、流出ルートがすべて管理下にあるという保証でもありません。今後の焦点は、証拠が開示されるかどうかと、DUV全面禁止が実現するかどうかの二点になります。

→ 何が変わるか: EUV疑惑をきっかけに、中国向けのDUV輸出規制がさらに厳しくなる可能性があります。ASMLの中国向け売上(約20%)が失われると、同社の事業構造が変わり、ひいてはAIチップの製造コストにも波及します。

→ 何をすべきか: AI開発や半導体調達に関わる企業は、輸出規制の議論が「EUV」だけでなく「DUV」にも広がりつつあることを注視してください。使用しているチップのサプライチェーンがどの製造装置に依存しているかを把握しておくことが、今後の調達リスク管理につながります。