前の文章を書いたあと、 ひとつの問いが胸に残りました。
私は、何を軸に生きる人間なのか。
志縁について考えていたはずなのに、 最後に返ってきたのは、人間関係の問いではなく、 生き方の問いでした。
誰とつながりたいか。 どんな場にいたいか。 どんな未来をつくりたいか。
そう考えていくと、 その前にまず、 自分は何を大切にする人間なのか が問われているように感じます。
つまり、志縁とは、 人間関係の話である前に、 生き方の話なのだと、いまは思います。
「志でつながる」と言うのは簡単です。 でも、その「志」が自分の中で曖昧なままだと、 人との関係も曖昧になります。
なんとなく気が合う。 なんとなく一緒にいる。 なんとなく離れられない。
それはそれでひとつの関係です。 でも、どこか受け身でもあります。
志縁は、少し違います。 何を大切にしたいか。 どんな生き方をしたいか。 その方向が重なったときに生まれるつながりです。
だから、志縁を求めるなら、 まず自分の側に問いが立たなければならない、と感じています。
私は何を大切にして生きるのか。 私はどんな自分として人とつながりたいのか。 私は何を差し出せる人間でありたいのか。
そうやって考え続けた先で、 自分の中に残った言葉がありました。
挑戦。
それが、今の自分にとって最もしっくりくる軸です。
挑戦というと、 大きな勝負や派手なチャレンジを思い浮かべるかもしれません。 でも、今の自分が感じている挑戦は、もっと静かで、もっと日常に近いものです。
少し怖いほうを選ぶこと。 無難にまとまるより、成長できる可能性に賭けること。 安心だけに留まらず、自分が広がるほうへ進むこと。
うまくいく保証はありません。 失敗もあります。 それでも、縮こまるより前に出る。 閉じるより広がる。 そういう選び方をしたい、と思っています。
私にとっての挑戦とは、 「勝つこと」そのものではなく、 まだ見ぬ自分に会いにいくこと に近いのだと思います。
安心より成長。 正解より前進。 小さく守るより、少し怖くても広がるほうへ。
この感覚が、今の自分の生き方の基準になっています。
自分の軸が「挑戦」だと見えてくると、 人とのつながり方も変わってきます。
一緒にいると、自分が小さくまとまってしまう関係。 挑戦する前に、諦めたくなる関係。 無難でいることを暗黙の前提にする関係。
そういうものとは、少しずつ距離が変わっていきます。
逆に、 挑戦を応援してくれる人。 挑戦している姿を見て、こちらも火がつく人。 うまくいったかどうかより、 前に進もうとしたことを見てくれる人。
そういう人たちとのつながりは、 ただ居心地がいいだけではありません。 もっと深いところで、自分の生き方を支えてくれます。
たぶん、私が求めているのは、 そういう意味での志縁なのだと思います。
ただ同じ考えの人と集まりたいのではありません。 ただ優しい人と一緒にいたいのでもありません。 挑戦を大切にする自分として、つながりたい。
そこに、自分にとっての志縁の輪郭があります。
そして、生き方は結局、日々の選択に出ます。
先延ばしにしていたことに手をつける。 気になっていた人に自分から連絡してみる。 言いにくいことを、逃げずに伝える。 うまくいくか分からなくても、一歩出してみる。
そういう小さなことの積み重ねが、 「挑戦を軸に生きる」ということの中身になるのだと思います。
志縁も、きっと同じです。 いきなり理想の仲間と出会うのではなく、 まず自分が、自分の志に沿って生きる。 その姿勢が少しずつ磁場になって、 響き合う人との縁を引き寄せていく。
人とのつながりを考えるとき、 つい「誰とつながるか」に意識が向きます。 でも、その前にあるのは どんな自分としてつながるか という問いなのだと思います。
私はこれから、 挑戦を大切にする自分として、人とつながっていきたいです。
失敗しないためではなく、成長するために。 無難に生き延びるためではなく、自分の可能性を広げるために。
そんな生き方の先で、 同じように志を持って歩く人たちと出会い、 支え合い、刺激し合いながら、 志でつながる縁を育てていきたいです。
「志縁」という言葉は、 人とのつながりを表す言葉でありながら、 実は自分がどう生きるかを映し出す言葉でもありました。
だから今、私にとって大事なのは、 正しい答えを持つことではありません。 挑戦を選ぶ自分でいることです。
その先で、 同じ火を持つ人たちと出会えたらいい、と願っています。